私の生い立ちVol.001(学生時代まで)

スポンサーリンク

私が生まれた年は昭和のど真ん中….東京オリンピックが開催される前でした。

そして生まれた場所は、大阪郊外の当時は田んぼと蓮根畑の多い町でした。
親父の郷里は、とある県の辺境…人よりイノシシや鹿が多い所です。
セミリタイアした現在の私は、この辺境に住んでいます。

親父は、某大手広告代理店の大阪支社勤務で夜が遅い仕事なので大阪郊外の借家(一軒家)を借りて住んでいて、私はここで生まれて高校を卒業するまでは親元から通っていました。

親父の年収はボーナスが1回につき6か月分くらい出る会社の偉いさん??だったので当時としては裕福な暮らしだったのでしょうね。
でも…..仕事の忙しさ&外に女がいたせいで、週に4日はホテル泊まり、親父の顔を見るのは週2、3でした。
後に俗に言う「親子どんぶり」的な経験もするのですが…..この話もまたの機会に書いてみたいと思います。

そう言う訳で、殆ど会話もなかったのですが、親父に怒られるのは年に3、4回あったかなぁ….

凄くキレやすい親父で、口答えすると激怒し….ぶん殴る&蹴る&投げるという荒技で私は外に逃げ出すしか方法はありませんでした。

という訳で高校生くらいまでは親父を嫌っていて、なるべく顔を合わさないようにしてましたね。
(こんな親父は去年の3月に亡くなりました)

勉強はソコソコ出来たほうなので、高校から関西では有名な大学の付属高校に入学できました。

高校に入ってからは、あまり勉強する事なくラグビーに専念していたかなぁ!!

女の子は高イチの頃から付き合っていた子がいて…
ファーストKiss,ファーストエッチ、そして妊娠&中絶….. ほぼ全ての事を高校3年間に経験しました。
この話は、また別途書いてみる予定です。

大学は、そのままエスカレーターで入学….勉強というより部活のラグビーしに通っていた記憶しかありません。 全日本大学選手権にも常連の大学でしたから練習もかなりハードで大学の近くに下宿していました。

当時はラグビーブームの初期の頃で、俊足ウィングの私は、かなりモテモテで女の子に囲まれいましたね… 彼女というか、高級クラブのママさんと付き合っていて、お小遣いにも困らない幸せな学生生活を送っていました。

たぶん、この頃が一番女の子にモテた時代でしょうね?

ちなみに、当時よく試合で通っていた花園ラグビー場は、こんな感じで試合のない日は「ゴルフ練習場」として利用されていました。

コメント